Author:ジョー
スペック:現実型女子
「ジョー」は
「丈」です。
ひたすら三島由紀夫で
修論を書く日々。
ギリシア神話と
フランス古典文学を
勉強したいです。
気軽によく読んでいるのは
村上春樹と
澁澤龍彦と
伊藤たかみ。
人にススメられたものは読みません爆。
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写真:和敬塾の前で
ノルウェイの森を出してみた。
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ジョーをくわしく知る

ポジティブなので常に何かに期待をしています。
自分にも世の中にも明日というたった一日にも。
どんなことでも期待をしちゃいけない理由ってないです。
期待をして裏切られることを前提にしてる人は、期待をしないんだろうけど、
期待をする人は裏切られることが恐くないんです。ただそれだけなんです。
期待をしない人って臆病だなってすごく思う。何もできてない気がする。
あと、全体をはかろうという広い目がないと思う。
自分の利益だけしか考えてないんじゃないのか?とも思う。
期待する人はそれなりにそれでいいじゃないか、という広い目がある。
森羅万象、潮流の一部なんだという観点がちょっとあるだけでも違う。
だから期待ってものができるんだと思う。
泥だらけになってもいいって覚悟があると思う。
裏切られてもそこからまた考えればいいから。
ポジティブとマゾヒズムの関係って論文できそうだな爆。
いまいじめが話題ですね。
この流れで何か大きな変化があるといいのだけど。
少しでもいいからね。
いじめって、
その子が今まで当たり前だと思っていた”自分のもの”が
”自分のものじゃ無くなる”っていう瞬間に始まると思う。
思い出、信頼、友達、という自分が数年間で作ってきたもの
(でも彼らにとっては一生涯)。
が、無くなる。
さらに靴、体操服、教科書、そういう物質。
が、無くなる。
そういうことから子どもの全ての原理を奪ってくものだと思う。
生きること寝ること起きること食べること
学校へ行くこと塾へ行くこと家に居ること
そういう生きるための歯車が一つ一つなくなっていって、
最後の一つが無くなったときって、実は誰かが与えようとしても
そういう原理に対して拒絶反応が出るから受け入れられなくて。
原理がなくなったとき、明日を迎えることが恐くなる瞬間がくる。
じゃあオトナはそういう原理がなくなることってないのか?というと
そういうわけでもなくて。オトナでもそういうことはあると思うのですね。
でも子どもと大きく違う点がある。
それは”自分のもの”に対する観念がオトナと子どもでは違うってところなんじゃないかと。
子どもはそれが全てでしょ。自分のものの中に生きるのが子どもの世界だから。
でもオトナになると所有に関する概念がいろいろ多様化して、
自分のものでなくても自分のものって感じることができたり、
逆に相手と共有することも知ってたり、共有を許すことを知ってたりするでしょ。
私の中でどこからがオトナか?という疑問に対する答えはこれなのです。
こういうのを理解できるようになると、すごく人間としてぐっと強く生きられるんじゃないか?
と、時々そういうのを感じる。
いろいろな場面でこういう概念って顔だすわけで。
例えば誰かと喧嘩するとき。自分の主張、つまり自分のもの=概念を相手に
提示したいというとき。あ、自分のものが相手に奪われそうになる=意見を否定されそうだ、
というような状態になる。そういうとき、相手のものも、自分のもの、もお互い共有しよう!
という意識をもてば二人の関係は一歩先にいくかなーとか思ったり。
だもんで、そういうのを感じられるようになるとオトナかなーと思う。
だから子どもには全てを”与えるべき”で、何物も”奪ってはいけない”。
愛も時間も全てを与えるべき。それを与えられなかった子どもは本当に
かわいそうだと思う。与えられないで育たざるをえない子ども達もたくさんいる。
果たしてそれは子どもと言えるのか?と思えるくらい本当にかわいそうだと思う。
子どもが子ども同士でなぜものを奪い合うのか、=いじめが起きるのか
というのは、お互いの所有概念っていうものがつよく作用してしまうからだと思う。
いじめがなくなることは・・ないかもしれない。
子どもの本能の一つなのかもしれない。
オトナでもいじめってあるけど、子どもはいじめの意味がわからずやってる。
オトナは絶対その意味がわかってる。
でもいじめとは違う場所でその子どもに何かを与えることはできると思う。
”その子だけのもの”を与えるやり方があればいいのだと思う。
たとえば本気で闘えることだってあるかもしれない。
そうしたらその勇気はその子のもの、になる。
いじめられてる子が悪いことは絶対にない。
いじめてる子はそういうことをするのが自分のためには一ミリもならないことを
知るべき。